古典芸能 Feed

2012年1月 2日 (月)

曽根崎心中

観劇日…2011年10月23日
劇場…国立文楽劇場小ホール

南条好輝の近松心中物二十四番勝負・その二十四

南条好輝の近松二十四番勝負の最終回は、近松の出世作ともなった「曽根崎心中」でした。
この作品は成駒屋の代表作で芝居も見たことがありますが、今回のような朗読劇だとお初徳兵衛の二人の会話が濃密で、今まで見てきた近松作品の中でも余計な入れ事も少なく、近松の出世作として頷けました。

 徳兵衛の側から見れば、こんなに愛しているお初がいるのに、自分の叔父でもある親方が妻の姪を嫁にせよと言ってくると叔父のことを悪者のように言いますが、こちらが親ぐらいの年齢になったせいか、親方が徳兵衛を心配して遊女と手を切らすべく嫁取りの話を持ちかけてきたことも理解できます。

 また嫁取りを断ると継母が勝手に受け取っていた持参金の金二貫目を返せと親方に言われます。それで徳兵衛は継母から二貫目を取り返してきますが、まだ曽根崎心中では継母の存在があまり重要ではなかったようで、あっさり語られてしまったのに、少々驚きました。今まで見てきた近松心中物では、主人公をいじめる継母や継父の場面がかなり重要で、強烈な個性の継母に楽しませてもらってきたからです。

 徳兵衛の敵役九平次は二貫目の金を1日だけ融通して欲しいと徳兵衛に頼み、徳兵衛は男気で貸してしまいます。町衆と一緒にやってきた九平次に期限が過ぎているので金を返せと迫っても、そんな金を借りた覚えは無い、借用書は偽判であると開き直り、かえって徳兵衛が悪者にされてしまいます。

 この辺りは曽根崎心中だけではなく、他の狂言でも似たような展開があり、男が心中を決心する重要な事件になり、演劇的にも見所になるのですが、冷静に考えれば、お初と会うためには茶屋に金を払わねばならず、その遊ぶ金が借金となり、それがかさんでにっちもさっちも行かなくなって心中せねばならなくなったのでしょう。ただ芝居小屋も遊女屋も繁華街を支える一員で、持ちつ持たれつだっただろうし、遊女屋のやり方を非難する脚本を書くわけにもいかないとなると九平次のような人間を出すことになるのだろうなと思いました。

  近松心中物の雛形としての曽根崎心中、この作品から年代を追って心中作品を読んでいけば、近松の作劇術について、色々得ることができるのではと思いました。

2011年9月 3日 (土)

長町女腹切

観劇日…2011年6月19日
劇場…国立文楽劇場小ホール

 南条好輝の近松世話物二十四番勝負・その二十三

 京都の刀屋職人・半七は遊女のお花と深い仲で、お花の年季が明けたら夫婦約束をしていた。しかし強欲な義父と抱え主の主人から、金二十両で年季を延ばすよう迫られていた。
 それを知った半七は叔母から預かった刀を売り払って二十両を作る。
 叔母には偽物の刀を渡していた。叔母はそれに気付かず、刀を武士のお屋敷に納めていた。
 お花と共に、京都から逃げて来た半七が叔母の家にやって来た時、お屋敷より呼び出されていた叔父が刀が偽物だったことで叱責されて帰って来る。
 叔母は三代に渡って祟るという刀の因縁が半七に悪心を起こさせたとして、全ての責任を被って腹を切る。

ショッキングな題名のこの近松作品は二つの心中事件から作られたそうです。
一つは京都の半七お花の心中、もう一つは大坂長町の女の腹切りです。
大阪に住む観客にとっては、町人の女が腹切りに及んだことがショッキングな話題となっていたはずです。その事件のきっかけとして、京都の心中を利用したといえるでしょう。

 本当にあったニュース性の高い作品だったので、現代でも面白く聞くことが出来ました。ただ残念ながら最近では舞台化されていないとのこと、半七お花には若手役者を叔母には実力がある女形さんがなされば、見応のある芝居になるのではないでしょうか。

2010年5月26日 (水)

通し狂言 妹背山婦女庭訓

観劇日・・・2010年4月4日
劇場・・・国立文楽劇場

「妹背山婦女庭訓」の通しを見ました。
歌舞伎の舞台だと、どうしても「道行恋苧環」が中心で、「妹山背山の段」か「鱶七上使~金殿の段」辺りをたまに見るくらいなので勉強になりました。
 奈良王朝をモデルにしているとはいえ、蘇我入鹿が天皇を追い出し独裁者となっているというもので、戦前に通し狂言として上演できたのだろうかと思いながら拝見しました。

 天皇が寵愛する采女が猿沢の池で入水自殺したと聞いて悲しみに暮れた天皇は、猿沢の池へとやって来る。
 その留守に乗じて、入鹿が御所を乗っ取ってしまう。天皇は盲目だったため、藤原淡海は天皇に御所に帰ると言いながら、実は猟師芝六のあばら家に天皇を匿う。
 芝六の家にも天皇探索の追手が現れ、芝六の忠誠心が試されたり、入鹿討伐の呪いに、奈良では禁制の鹿を殺した為に、芝六の継子が身代わりに名乗り出て石子詰で殺されそうになったりと次々に難問が起きる二段目「鹿殺しの段」から「芝六忠義の段」が特に印象に残りました。

 芝六・お雉夫婦には二人の子供がいるのですが、上の男の子はお雉の連れ子で、先夫に先立たれたお雉が子供を抱えて苦労していたため、芝六と所帯を持つことになったのでした。下の男の子は芝六・お雉の子供でした。

 入鹿討伐の呪いのためとはいえ、鹿を殺せば興福寺の僧たちの探索を受け、石子詰の刑で殺されることは大和に住むものなら子供でも知っていること。
 恩義を受け今まで育ててもらったお礼に、芝六の身代わりに上の男の子が、自らが書いた密告状を弟に持たせ興福寺に行かせるのです。
 お雉は自分の子が鹿殺しの犯人として捕らえられたことに驚き、僧たちに命乞いをするのですが、許されません。

 この件を見ていて、現代よりも江戸時代のほうが人間の命の重さを実感していたのだなと、ベタなストーリーかもしれませんが学ぶべきものがたくさんあると思いました。

 久しぶり(たぶん10年位か)に行った文楽で驚いたのは、舞台の上に字幕が出るようになっていたこと。字幕が出るようになって、番付に添付している床本のページをめくる音がしなくなったのは良かったなと思えました。ただ私自身、人形の動きよりも字幕に目に行ってしまうことが多くなってしまうのに注意しなければならないと思いました。

 それにしても時代物だからかもしれませんが、「妹背山婦女庭訓」の詩章は難しい漢字熟語が続くのに字幕を見ながら驚いてしまいました。

 久しぶりに聞く義太夫。私の印象では、呂勢大夫さんの艶のある声、咲大夫さんの深みのある声、嶋大夫さんの枯れた味わいの声が素晴らしかったです。

 「妹背山婦女庭訓」の最大の見せ場は、三段目の"妹山背山の段"になるのでしょうが、昼食後に2時間近く緊張が続く演目で、途中でうとうとしてしまいました。今この感想を書くために、友の会会報・第149号を見ているのですが、上演の都合上、二段目の"猿沢池の段"と"鹿殺しの段"の間に三段目の"太宰館の段・妹山背山の段"を挟んでいることに気が付きました。
 三段目で居眠りしてしまった自分を棚に上げて言うのもなんですが、三段目を夜の部の最初に持って来た方が、"妹山背山の段"をしっかり見ることができるのではないでしょうか。現在は昼の部・夜の部と別料金で独立してるため、「妹背山婦女庭訓」を順番どおり上演すれば後半の方がネームバリューがあって面白い演目が偏ることになり、二段目の間に三段目を挟む形になったのだと思いますが、そうすることで天智天皇を巡る恋と忠義の話にしわ寄せが来てしまったという感じも残りました。

 この上演の仕方が定着しているのかどうかは分かりませんが、このままで良いかどうかについては少々疑問を挟んでおきたいと思います。

 

2005年11月21日 (月)

近松名作集「嫗山姥」「大経師昔暦」 文楽

観劇日…2003年11月23日
劇場…国立文楽劇場


 国立文楽劇場友の会会員のくせに、年に1度くらいしか文楽を見ないもので今年最初で最後の文楽を見てきました。
 何故行こうかという気になったかというと、↓の上方歌舞伎会と同じ演目「嫗山姥」が上演されていたからです。上方歌舞伎会の時になんだかちょっと物足りなさを感じたので、今回の文楽の公演では満足させてもらえるのではないかと思ったからでした。
 しかし残念ながら今回も思ったほどではありませんでした。元々この作品は近松が荻野八重桐という女形の持ち味・芸の力を発揮させるために当て書きした作品のようです。女形のしゃべり芸が重要なポイントになるものなので、それが義太夫になってしまっているため、あまり面白さを感じることができませんでした。
 次の「おさん 茂兵衛 大経師昔暦」はさすがに聞き応えがありました。最初に出てこられた松香大夫さんから最後の伊達大夫さんまで素晴らしかったです。「おさん・茂兵衛」の物語は映画や舞台にも良く取り上げられているので知ってるつもりではいたのですが、細かいところに思わぬ展開があって今更ながらに「へぇ〜」と思うこともありました。一番印象的だったのは最後の場面、女中お玉の首をもってお玉の叔父道順が「この首に免じて、おさん・茂兵衛を助けてやってくれ」と懇願に来ます。ところが捕り手の役人は「お玉が生きていてちゃんと証言してくれたなら三人共に無罪になったかもしれないが、首となってしまっていては証言してくれる人間がいなくなったから、二人は罪人として引き立てねばならない」と答えたのです。江戸時代の刑罰の常識ってそういうものだったのかとびっくりしてしまいました。

2005年10月31日 (月)

「菅原伝授手習鑑 昼の部」 文楽

観劇日…2002年4月28日
劇場…国立文楽劇場


 この日は「菅原伝授」の千秋楽でした。ということは玉男さんの菅丞相、大阪最後となりました。今回、文楽劇場友の会から割り振ってもらった席が3列目の真ん中という人形を見るのに最高の席でしたから、絶品の玉男さん以外にも文雀さんの覚寿、簑太郎さんの宿禰太郎等堪能することができました。
 義太夫の方では「丞相名残の段」の十九大夫さんの語りの中で菅丞相のせりふの典雅さが玉男さんの人形にぴったりでした。
 「丞相名残の段」も結構長いのですが、十九さん一人で語りきられましたので、前回(↓)の「寺子屋の段」でぼやいていたような雰囲気がすっかり変わってしまうというようなこともなく、ドラマの緊張感が最後まで保たれていたように感じました。
 昼の部では「筆法伝授の段」の切の嶋大夫さんが休演でした。その代役で呂勢大夫さんが語られたのですが、判りやすくて良かったのではないでしょうか。
 歌舞伎では「筆法伝授の段」はほとんど上演されることはありませんが、この段を見ることによって「寺子屋の段」での源蔵夫婦の気持ちが一歩踏み込んで理解することができるような気がしました。
 たまには文楽の通し狂言でストーリーの再確認することの重要性を改めて感じました。

「菅原伝授手習鑑 夜の部」 文楽

観劇日…2002年4月13日
劇場…国立文楽劇場
 

都合により今回は夜の部を先に拝見することになりました。(昼の部は千秋楽で)夜の部での私の注目点は、住大夫さんと綱大夫さんの義太夫でした。
ただ残念なことに住大夫さんは病気休演のため「佐太村喧嘩の段」は千歳大夫から文字久大夫へ「佐太村桜丸切腹の段」は住大夫から千歳大夫に変更になりました。 文楽では休演すると弟子が代役を務めるのだそうです。
 さて、千歳さんの代役は声が割れていて何を語っているのかとても判り辛かったのが気になりました。舞台をリードして観客を感動に浸らせる切り場語りの力について再認識させられたように思えました。
 お待ちかね「寺子屋の段」は約1時間の大作です。大昔は一人で語り切ったそうですが、現在はだいたい分割されます。前半の綱さんは低くて重い声で三味線の合いの手もあまり入れず、じっくり聞かせてくれました。が、後半の英さんは明るくて高めの声です。寺子屋の後半は松王丸が我が子と桜丸の死を悼んで泣く場面や最後の「いろは送り」など聞かせどころがたくさんあるのです。
「いろは送り」までは無理としてもせめて松王丸の苦衷の涙は綱さんで聞きたかったです。英さんに替わるために盆が廻った瞬間、私は内心「おいおいここで替わるのかよ」と突っ込んでしまいました。

2005年10月29日 (土)

「本朝二十四孝」昼の部 文楽

観劇日…2001年11月10日
劇場…国立文楽劇場

 
 文楽は三業といいまして、大夫・三味線・人形の3つが重要なのですが、その中でも私は大夫の語りを堪能させてもらうのが楽しみなのです。今回の文楽は「本朝二十四孝」という武田信玄と上杉謙信の江戸時代には常識の物語、但し現代人には全く判らなくなってしまっている世界を舞台にしているので、登場人物が一体こいつは武田方なのか上杉方なのか複雑に入り組んでいて「???」のまま見ておりました。私が楽しみにしていた住大夫の「勘助住家の段」ではその謎解きと慈悲蔵の妻お種が自分の子供を殺されなければならない悲しみが語られ、こんな理不尽な話住大夫じゃないと納得させれないよなぁと思いました。

「上方落語会」

観劇日…2001年11月7日
劇場…NHK大阪ホール

 
 人間国宝桂米朝を始めとして、文枝・仁鶴・春団次・吉朝など大看板がずらーっと並びました。聞いたことのある話あり初めて聞く話あり、さすが大御所の魅力満載の落語会でした。そのなかから文枝師匠の「猿後家」」という話が印象に残りました。さる大きな商家の後家さんは猿にそっくりで町の中で知らない者はないほどでした。
後家さん本人も猿に似ていると冷やかされてから、家の中で「猿」に関係する言葉を発するとお出入り禁止になったり、お暇を出されたりするほどなのです。そこへ口を開けばおべんちゃらしか出てこない、後家さんにおべんちゃらを言うことで小遣いをもらって糊口をしのいでいる男が飽きもせずに小遣い稼ぎに現れ、立て板に水のようにおべんちゃらをまくし立てているうちについ口から禁句がでてしまい・・・。というような内容でした。文枝師匠が演ずる大阪女はとっても色っぽくて、最近の上方歌舞伎の若手女形に是非この文枝師匠の語り口を勉強してほしいものとつくづく感じてしまいました。