ストレートプレイ Feed

2013年5月 6日 (月)

モジョミキボー

観劇日…2013年2月17日
劇場…インディペンデントシアター1st

 舞台は1970年の北アイルランド。当時、北アイルランドではプロテスタント系とカトリック系の住民の抗争が続いていた。そんな時代に育ったモジョとミキボー。
 
 一人で町を探検していたモジョは、空き地で一人ヘディングしていたミキボーと出会う。ミキボーはガキ大将ファックフェイスと争っていた。ミキボーの自転車をファックフェイスが盗んだと思っていたのだ。それでファックフェイスのサッカーボールを盗んで他所の家に蹴りこんでしまう。
 ファックフェイスと対立状態のミキボーはモジョを仲間に引き入れる。

 子供は土曜午前中のバットマンやスーパーマンの映画しか見られないのだが、映画館のモギリの女性と館主が浮気しているのを見つけたモジョとミキボーは、そのネタを元に「明日に向かって撃て」の映画を見ることができる。
 この映画に影響された二人は、ファックフェイスたちと決闘したり、秘密基地を作ってみたり、バスに乗って遠くの町まで冒険に出かけたりする。

 この少年たちは家庭的には恵まれず、モジョの父親は女性とダンスすることばかり考えていて、モジョはアリバイに利用されたりする。母親もそれを薄々感じているようで、いつもタバコを吸いながら、物憂げに外を眺めていた。
 ミキボーの父親はいつも居酒屋で飲んだくれていて、新たな一歩を踏み出すためにオーストラリアの親類を頼って行こうと口にするばかりで、何の行動も起こそうとはしない男だった。

 そんなある日、ミキボーの父親がいつもいる居酒屋が爆破され、父親が亡くなってしまう。この事件がきっかけでミキボーはファックフェイスの仲間となり、モジョがミキボーの自転車を盗んだと言い始める…。こうやって2人の友情は終わってしまう。

 1970年に小学生ぐらいだったモジョとミキボー。たぶん私と同じ年ぐらいだと芝居を見た後気が付きました。あのころ私たちは大阪万博が最大のイベントで、誰それは毎週行ってるとか外人さんのサインを集めてるとか、月の石を見たとかそんな話題が学校で賑やかに話されていました。そんなのんびりした子供時代を送っていた同じ時に北アイルランドでは抗争で親を亡くした子供がいたことに改めて思い知らされました。
 そんな大変な時代に生きていたのに、でもやっぱり子供で秘密基地を作ったり、喧嘩したり、そこは洋の東西を問わないんだなと知りました。

 モジョミキボーは浅野雅博さんと石橋徹郎さんの自主公演。「明日に向かって撃て」の映像も浅野さんと石橋さんが真似て、なんだか学生が文化祭用に作ったような素人臭いのが面白くも有り懐かしくも有りという感じでした。この二人でモジョミキボーを含む男女18役を演じられました。文学座に所属しておられるお二人なので、普段女役をなさることはあまり無いと思いますが、花組芝居をちょくちょく拝見してる私としては、このお二人の女役も違和感なく演じられていると思いました。
 自主公演で、演出が鵜山仁さんというのは贅沢ですよね。

 関西は東京のように小劇場向けのメジャーな劇場がありません。今回使用されたインディペンデントシアターも知る人ぞ知るという劇場で、私も初めて入ったのですが、元はビデオ店だったものを改造したもののようで駅からは近いものの、ちょっと場末な雰囲気がありました。そんな場所でも3日間満席となり、大阪にもコアな芝居好きの人がいてはるんやなと思いました。そして大阪文学座支持会の皆さんもいらっしゃっていて、文学座とファンが永年培ってきたつながりの深さが感じられました。

 
 

2013年1月 7日 (月)

こんばんは、父さん

観劇日…2012年11月23日
劇場…森ノ宮ピロティホール

 佐々木蔵之介さんが主演の舞台は、普段テレビのでは見られない役柄を佐々木さんが演じられるので、毎回楽しみにしています。
今回は借金取りから逃げ回っているホームレス役でした。
 佐々木さん以外に、父親役に平幹二朗さん、闇金の取り立て屋山田に溝端淳平さんが出演されていました。

 廃工場の破れた窓から老人が入って来る。天井から吊り下げられた縄を見上げている。その老人を追いかけて若い男が入って来る。若い男は闇金の社員で老人の担当者だった。なんとか利息だけでも払わせようとするが、上手くすり抜けようとする老人。

 山田は老人の息子の携帯番号を手に入れていた。息子はメーカーで課長をしているというのだ。業を煮やした山田は息子に電話をかけると廃工場から呼び出し音が響き、2階から息子が現れた。実はちゃんと会社勤めをしていると思われていた息子はエビ養殖投資詐欺に引っ掛かり、莫大な借金を踏み倒して逃げていたのだ。廃工場は老人がかつて経営していた町工場でバブルが弾けた後、人手に渡っていた。10年ぶりに出会った親子と闇金の取り立ての3人の会話からこの親子の歴史が明らかになっていく。

 平さん演じる元社長はしたたかな男で闇金相手に上手く立ち回っていきます。お陰で最近の闇金事情なんかも教えてもらいました。この父親は下町の工場だけでは飽きたらず第2工場を作り、コンピューターによるNC旋盤システムを導入します。また郊外にシャンデリアが輝く家を建て妻子を住まわせ、メーカーに就職が有利になるように息子を大学までストレートで行ける私学に通わせていました。

 父親は社長とはいえ下請け工場の職人上がりのコンプレックスの裏返しで、成金に成り上がった途端、ゴルフ三昧で第2工場に愛人もいるというやりたい放題。第2工場に入り浸りになってしまう。
 母親は郊外のご近所付き合いに疲れ果て、下町の工場へ差し入れを持って行ったりして生き甲斐を見つけ出していたのに、人員削減などで第1工場の人間が減らされていき、精神的に追い込まれてしまいます。失意の中亡くなってしまった母親の葬儀に昔母親に世話になった人々がたくさん集まってくれたというところに感動しました。

 そんな父母の姿を見ているのに、エビ養殖投資詐欺に引っかかった息子は、何を考えてるんだかと思ってみていました。
 ラストは父親の膨大なメモ(部品を作るための寸法を設定する方法)を見ながら、「機械を道具にして使いこなさなければならないんだ」という父の言葉に、もう一度やり直そうと目覚める息子というシーンでした。
 
 数日前に、劇団銅鑼で蒲田の町工場を舞台にした「はい、奥田製作所です。」を見ていたので、社長の違いで立ち直る工場もあれば、潰れていく工場もあるんだなと、いずれにせよ日本のものづくりを支えている町工場の危機が舞台にまで反映されていることに、日本はどうなってしまうんだろうと切なくなりました。

 大ベテラン・ベテランに挟まれて奮闘した溝端さんですが、百戦錬磨の親父達に振り回されている闇金の取り立て屋の姿と重なって、凄いプレッシャーの中で大変やったんちゃうやろかと思ってしまいました。

 

2012年6月 9日 (土)

幻蝶

観劇日…2012年4月15日
劇場…兵庫県立芸術文化センター

世界を股にかけ、珍しい蝶を捕獲しては売り捌くチョウ屋の戸塚と引きこもりで蝶を幼虫から育てて楽しむ蝶マニアの真一。
二人は幻の白いギフ蝶を求めて山に籠っていた。
二人は宿代を節約するために山小屋に勝手に入り込んでいたのだ。
白いギフ蝶(白ギフ)は、10年以上前に一度写真に撮られただけで、専門家にはその写真も偽造だと言われていた。

 その白ギフという見果てぬ夢を追いかける不器用な男たち。
その前に現れた女たちは、山小屋を含む山林を管理する不動産会社の支店長・安藤と田舎回りのストリップの踊り子・ゆか。男たちの見果てぬ夢に巻き込まれてしまう。戸塚は妻と別れ一人息子を自分の不注意で亡くしていた。真一も両親を亡くし、親の残した遺産で細々と暮らしていたのだが、白ギフへの憧れに戸塚を誘って山に入って来たのだった。

 肉食系の中年男と草食系のオタクと言う普通の生活では絶対に理解しあえない男二人が、一つの目標を共有しようとします。そのぶつかり合いは演劇的に面白い題材で、現代日本の一面を捉えているなと思いました。

 戸塚は少々自滅型な性格でバクチで負けて500万円の借金を作ったりしてしまいます。この設定はちょっと無理があったのではと思いました。
たちの悪い連中も相手が500万円の負けを払えるかどうか見極めるはず。戸塚の身なりや風体はどう見ても、そんな金は払えそうに無く、演劇上の事件としては大げさ過ぎのように思えました。この借金の取り立てに来た若いチンピラが戸塚を殴り続けたことで、戸塚が命を落とすきっかけになるのですが、その為に少々無理をして設定したのではと感じました。 
 不動産会社の安藤は、唯一の常識人でしたが、少々便利に使える人間として配置されていて、女性である必要があったのかどうか、大人の事情で女性になった気もしました。

 戸塚は一緒に暮らしていくうちに真一のことを自分の亡くなった息子と重ね合わせていくところが、しみじみと良かったです。また白ギフの幻の写真を撮ったのが真一の亡き父だったという謎解きもあり、擬似親子がお互いの心の空洞を埋めていくために戦い続けていく姿が強烈な印象を残した芝居でした。

 それにしても、日本人男性にとってストリッパーという職業でありながら、純朴な女の子というのは未だに永遠のマドンナなんだなぁと思わされました。ゆか役の中別府葵さんの頑張りが光っていました。

 

2012年1月 4日 (水)

岸田國士傑作短編集

観劇日…2011年11月20日
劇場…八尾プリズムホール小ホール

 文学座創立メンバー岸田國士の短編3本「明日は天気」「驟雨」「秘密の代償」が上演されました。
この3本は約80年前に書かれたもので、その当時の東京言葉(新派とも違う)のなだらかな言い回しが、今ではすっかり聞かれなくなっているので、かえって耳新しい感じがしました。

 岸田國士さんが創立された文学座だからこそ、 80年前の作品が、俳優さんたちの演技力で現代でも理解されることが証明されたと思いました。但し、現代と違って奥ゆかしいところがあるので、見てるこちらが察しないといけないところが少々ありましたが。

 「明日は天気」は避暑に海水浴のできる旅館に滞在している夫婦の話。折角避暑に来たのに雨続きで海水浴ができず、部屋で退屈を持て余している二人の会話が続きます。現代ならスマホでゲームとかぼんやりテレビでも見て時間潰せたのになと思って見てしまいました。

 「驟雨」はぼちぼち倦怠期を迎えた夫婦のところに、妻の妹が新婚旅行の愚痴を言いにくるという話。妹の話を聞いていて、80年前の箱入り娘とはこんなものなのかと思いました。当時だと結婚するまで男と付き合うなど、良家の娘としてあるまじき行為だったのでしょうから、男の本質を知って愚痴りたくなるのも仕方が無いかなと思いました。

 「秘密の代償」は金持ちの家で美人の女中が突然辞めたいと言い出します。奥さんのお気に入りの女中だったので、突然の申し出に驚き訳を聞くのですが、はっきり辞める理由を女中が言わないので、ひょっとして旦那か息子のどちらかが、女中に手を出したのではと疑って…という話でした。
 結局この女中は窃盗犯で、タンスの中にあった大金を盗んで逃げている途中で警察官に捕まってというオチでした。
 奥さんがあれこれ早合点し空回りするのですが、旦那も息子も美人の女中に満更でもなさそうにも見えるし、80年前なので露骨な表現も抑制されているので、その焦らされてる感が最後のオチに効いていたように思いました。

2011年10月30日 (日)

幽霊たち

観劇日…2011年7月11日
劇場…森ノ宮ピロティホール

1947年ニューヨークで私立探偵をしていたブルーはホワイトという男から、ブラックという人物の調査を依頼される。週に一度レポートを提出すれば報酬の小切手を送るというものだった。
ブラックの部屋の向かいのアパートに部屋まで用意されていた。
ブルーは浮気調査かと思い、10日もすれば仕事は終わると仕事を受ける。
しかしブラックは毎日タイプライターを打って文章を書くか、ウォールデン森の生活という本を読むか、食事をし、眠りにつくという決まりきった生活を続けるだけだった。
探偵という職業柄、恋人に居場所を告げることも出来ず1年が経ってしまう。
ある日、街に出たブルーは恋人が他の男と歩いているのを見つけてしまう。
この世から失踪同然になっていることに焦ったブルーはブラックの部屋に忍びこみ、机の上に自分が送り続けたレポートを見つけ…。

久しぶりに抽象的な、結末がよく分からない芝居でした。
都会でも人に知られず住むということは、森の中での隠遁生活と同じだということが言いたかったのでしょうか。
お金があって何不自由ない生活を送っているブラックの退屈に付き合わされたブルーは人生まで狂わされ、いい迷惑としか言いようがありません。
ブルーはブラックを殺すことで、自分の人生を取り戻すことができたかどうかも不明のまま、芝居が終わってしまいました。

 実力のある佐々木蔵之介さんや奥田瑛二さんが出演されてたから見応えはありましたが、パルコプロデュースらしい作品と自分を納得させて帰路につきました。

2011年7月15日 (金)

鳥瞰図

観劇日…2011年5月28日
劇場…兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール

 千葉のとある船宿が舞台になっていました。そこは、地元の人たちのたまり場になっていました。
船宿には、おばあちゃんと漁師の息子が住んでいて、そこに孫娘が突然転がりこんでくることで、この家族が抱えている問題が炙り出されていきます。

 おばあちゃんは昔子供2人連れて、この船宿に嫁いできたのでした。娘は高校を卒業して家を出て、おばあちゃんたちとは疎遠になっていました。その娘が4ヵ月前に交通事故で亡くなってしまい、娘の旦那さんが女の人と暮らし始めたので孫娘は居場所が無くなって、おばあちゃんの所に来たのでした。

 長い間離れて暮らしていた娘の突然の死で心のなかでは悲しんでいるものの、表面上は普段通り明るく振る舞っているおばあちゃんの役を渡辺美佐子さんが演じられたのですが、舞台に立っている全員を家族のように包んでいる感じがして、芝居を見ていくうちに、その存在感がだんだん大きくなっていきました。
 息子は現在は独身ですが、かつて妻だった人が末期ガンと知って、皆にはパチンコに行くとごまかして病院に通っているという人間でした。不器用な生き方しかできない息子の役を演じたのは入江雅人さんでした。今まで、テレビドラマでしか拝見したことがなく、演技の幅も舞台サイズではない感じでしたが、それがぶっきらぼうな男の感じに上手く変換されていたように見えました。

 船宿に集まる人たちは、なかなか手練れのメンバーが揃っていて、楽しめました。

 東日本大震災で、鳥瞰図の舞台となった千葉の沿岸部が液状化現象で被害を受けたことを知った上でこの芝居を見ていたので、鳥の楽園だった干潟が埋め立てられてしまったことが、何度も語られるうちに、大震災後この船宿はどうなってしまったんだろう。その後の鳥瞰図が見てみたいなと思いました。

2010年4月18日 (日)

ULTRA PURE!

観劇日・・・2010年4月11日

劇場・・・シアターBRAVA!

スキー場にある別荘に集まった男女6人の恋が成就するのかどうかという1夜の話。
ただストーリーが甘かったというかぬるかったです。

 別荘番のおばさんには一人息子がいるのですが、なかなか彼女ができないということで別荘のオーナーの息子が自分が通ってる乗馬クラブの女友達を連れて遊びにやってきます。そして国内の乗馬大会で優勝しオリンピックに行くかもと言われ、また恋多き男と噂される俊太郎に恋の手ほどきをしてもらおうと一緒に連れてきていました。
 女友達の中に、俊太郎の初恋の相手沙織もいました。

 昼は天気が良かったのですが、夕方から雷が鳴り響くような悪天候になり、雪崩が発生します。
そこで一人スキーに行ったまま戻って来ない女の子のことでハラハラさせ、無事戻ってきたら、次は大地震の発生。
とはいえ、太陽光発電で何事もなかったように電気がつきます。それなのにテレビもラジオも無くて外界との連絡が取れないのです。
 地震の余震が何回か起きてひょっとしたら別荘も危ないかもしれないと登場人物達は語り合ったりするのですが、結局話は恋愛のことに戻ってしまいます。
 
 夕食に用意されたカレースープが余震でひっくり返って食べられなくなり、とうとう別荘のトイレの水も流れなくなり、停電にもなってしまいます。
 そんな状態になったら自分達の身を護るためにどうしようかという話になるのかと思っていたら、おばさんの大事なお守りが無くなったから、こんな災難に遭うはめになったのだと俊太郎たちは別荘の周りにお守りが落ちていないか探しに行くのです。
 
 地震による大雪崩も起きて、完全に孤立したところに熊の親子が別荘に入り込んで来たという設定になって、さすがにそこまでされると呆れてしまいました。
 熊を追い払う為に猟銃を持ち出して、自分が熊の気を引くから、熊を銃で撃ってくれとかって頼んだりするのですが、誰でも彼でも銃なんか撃てるものでは無いので、そんなその場しのぎの話でいいのかと思ってしまいました。

 熊騒動のさなか俊太郎が別荘を飛び出して行ってしまいます。
後に残った人たちもその行動に疑問を持つのですが、別荘番のおばさんが余震で転んで手首を痛めたことに気を取られて、うやむやにしてしまいます。
そして俊太郎は帰ってくるのですが、スキー場で雪が積もっているはずなのにTシャツにオーバーオール姿のままで防寒着を着ている訳でもありません。

  彼は別荘の裏にある神社にキノコを取りに行っていたのでした。そのキノコを手に入れることができれば、彼女をものにすることが出来るという伝説があったのです。
 でも雪が積もっている林の中にキノコなんか生える訳無いんちゃうんと心の中で突っ込んでしまいました。

 俊太郎は、キノコを探しながら、ハンディカメラで神社の様子なども撮影してたのですが、別荘番のおばさんが失くしたお守りは見つけるは、神社の裏に昔沙織と落書きした「俊太郎は沙織と結婚する」という言葉は見つけるはと、都合のいいまとめ方に、いくらお芝居とはいえ甘すぎるのに呆れてしまいました。

 最後、俊太郎と沙織が結ばれて、周りの人間も良かった良かったのハッピーエンド。

 福島三郎さんの作品としては、花組芝居で「かぶき座の怪人」、泪目銀座で「LOVER SOUL」を見たことがあって、そのときなかなか面白い作品を書く方だと認識していました。
 しかしこの作品は、恋愛物として男女の心理的駆け引きを見せるのに重点を置くでもなく、かといって大地震や雪崩という大事件が起こってるのにスペクタクル物になるでもなく、大人の事情があったのかどうかは分かりませんが、どっちつかずになってしまっていました。

 主役の三宅健君は舞台になれていてしっかりした演技でしたし、相手役沙織は宝塚歌劇出身の陽月華さん、別荘番のおばさんの鷲尾真知子さんなど、舞台俳優として実力ある人たちをキャスティングしてあり(但し沙織の女友達役の二人は初舞台ということで弱かったですけど)、折角これだけの面子を揃えてるのに、もったいなかったです。 

  恋愛物をするのなら、いっそ「ロミオとジュリエット」ぐらいやっても良かったのではないでしょうか、でなければ大昔の日活映画のリメイクとか。
 その方が、話題性もあり面白かったかもしれません。なかなか日本人の劇作家で、しゃれた恋愛物の芝居って、未だに書ける人はあまりいないのかも、どうなんでしょうか。私が知らないだけかもしれませんが。

2009年10月31日 (土)

ブラックバード

観劇日・・・2009年9月5日  

劇場・・・シアター・ドラマシティ

作:デビッド・ハロワー 翻訳:小田島恒志 演出:栗山民也                                                                                                                                                                                                                                  

  ある日、男の勤めている工場に若い娘が訪ねてくる。男は従業員控え室に娘を案内する。
 突然の来訪に男はどぎまぎし、同僚の目を気にしていた。
 
 従業員控え室での男と娘の会話からこの2人の過去が徐々に明らかにされていく。
 男はかつてある町でこの娘の父親からガーデンパーティーに誘われ、そこでこの娘と知り合う。当時彼女は12歳で、恋や男性に興味がある年齢だった。

 この2人は他人の目を盗んでデートしていたが、とうとうオランダへのフェリーが出ている港町に車で駆け落ちしてやってくる。そしてフェリーの出発時間までペンションに忍のび愛し合う。
 男は食べるものを買ってくるとペンションの部屋から出て行ったまま、長い間戻ってこないので、娘は町に探しに行く。パブを回り男を探すが見当たらず、ペンションの駐車場まで戻ってくると男の車が消えていた。
 そこで困っているところを町の人に声を掛けられ、警察に捜索願が出ていた少女だったことが判明し保護される。

 男の言い訳は、食べ物を買って帰ってきたら娘がいなかったので、フェリーの発着所の先に行ったのかと思い探してみたがいなかったので、戻ることにしたということだった。

 保護された娘は、住んでいた町に連れ戻されカウンセラーの先生や親たちの壊れ物を触るような扱いや近所の人々の白い目にさらされながら成長していく。
 男は少女に対する行為によって逮捕され6年の懲役を受ける。
 そして刑務所を出た後、名前を変えてこの工場に勤めていたのだ。

 娘が男の居場所を知ったのは、たまたま銀行で業界誌に男が会社の仲間と一緒に写っている写真を見たのがきっかけだった。

 娘は男に今恋人はいるのかと聞く。男には現在年上の恋人がおり、自分が刑務所に何の罪で囚われていたかは教えていない、そしてあの事件を引き起こした後、12歳の女の子に手を出していないと答えた。
 娘もその後、何人も恋人を作ったが長続きしないのだった。

 工場の勤務時間が終了しても帰ってこない男を心配して、男を捜しに来たのは・・・。

 最初、突然男を尋ねてきた娘の傍若無人ぶりにちょっと苛々させられたのですが、話が進んでいくうちに男の身勝手さ、娘は逃げ出した男を信じていて今でも愛していることが徐々に明らかになっていくと娘に対して同情の気持ちが湧いてきました。

 この芝居の最大の見せ場、男を探して女の子が一人でやってきたシーン。
 芝居が始まってからずっと、観客と娘はこの男の嘘と言い訳を聞かされてきたのか、やっぱりこの男の病気は治らないのかという疑念が浮かんできました。この芝居の心理的駆け引きを楽しむことができて、久々に面白い芝居を見たと思いました。

 日本の場合主張や笑いを押し付けてくる芝居は多いのですが、登場人物と共に心理戦に巻き込まれていくこういう芝居は珍しいので、見終わったあとの満足感が高くなるのではないでしょうか。芝居の終わりは、部屋から逃げるように出て行く男を娘が追いかけていくというもので、結末は観客の想像に任せるというものだったのですが、不完全燃焼という気にはなりませんでした。
 

2007年12月22日 (土)

「殿様と私」 

観劇日…2007年11月17日
劇場…兵庫県立芸術文化センター中ホール


文学座創立70周年記念作品、マキノノゾミ脚本。

 舞台は明治20年頃の東京。華族白河家の応接間。

 元大名だった白河家には、当主の義晃・息子の義知・娘の雪絵、そして家令・雛田源右衛門とその妻・カネが住んでいた。
 当主は時代の流れについていけず、旧幕のまま。雛田もちょんまげ姿のままだった。
そのちょんまげを、井上外務大臣の書生に馬鹿にされ、喧嘩になったものの老人2人では太刀打ちできず、悔しい思いを晴らすため書斎で酒盛りをしていました。
そこに戻ってきた陸軍省勤めの義知が、雪絵からその顛末を聞かされているところに、酔っ払った当主が鎧兜姿で敵を討つと現れます。

 義知は、そんなことをすれば益々家名に傷が付く。それよりも当主が毛嫌いしている鹿鳴館の舞踏会でダンスを披露し世間をあっと言わせてはどうかと諭します。
当主は義知の意見を聞き、ダンスの家庭教師を雇うことにしたのでした。

 家庭教師として雇われたのは、アメリカ人技士の妻アンナ。そしてアンナの通訳兼車夫として三太郎も白河家に出入りするようなりました。
 アンナはダンスを当主に教え始めたのですが、 仏頂面に鷹狩姿の当主に激怒して、ダンスの先生を辞めると申し出ます。
 しかし足が悪く、女学校に行くことを止められている雪絵はアンナに憧れ、アンナの気持ちをやわらげました。
 当主も、ダンスのレッスンを受けるために洋服を用意し、作り笑顔の練習までするようになったことで、アンナはダンス教師を続けることにしたのです。
 
 いよいよ鹿鳴館の舞踏会が近づいてきたある日、アンナが雪絵のために自分のドレスを仕立て直して持ってきてくれます。
ドレス姿の雪絵を見て、叱り付ける当主だったのですが、アンナの意見に折れて、自分の代わりに義知と雪絵を鹿鳴館に行かせることにしたのでした。
舞踏会に出席した娘は、横浜領事館所属の武官・ジョン・ラングに恋をしてしまいます。

 鹿鳴館に出席するという目的でダンスを習っていた当主は、舞踏会が済んだことですっかりやる気をなくし、依然と同様酒を飲む日々を送っていました。
そんな時、イギリス船が紀伊半島沖で難破し、イギリス人全員はボートで逃げ出したのに、日本人は救助されないという事件が起こったのです。

 イギリス人船長が横浜領事館に拘束されていることを知り、当主は雛田と共に忠臣蔵の赤穂浪士の姿で抗議に赴きました。
 この2人を白河家まで送ってきたのが、雪絵が恋をしたラングだったのです。これをきっかけにラングと雪絵は逢瀬を重ねるようになりました。

 そんなある日、人目を盗んで抜け出した雪絵が夜遅くまで帰ってこないという事態が発生します。
雪絵の部屋からは英語の手紙が見つかり、アンナたちも呼び出されていました。手紙の内容から二人が恋仲だったことを知り、当主は激怒します。
 そして誰か相手を見つけて嫁入りさせると言うのです。しかしアンナはもしこれで2人が結婚するようなことになれば素晴らしいことではないかと言います。
こうして当主とアンナが激論を交わしているところに雪絵が帰ってきました。

 雪絵はラングに会いに行っていたのではなかったのです。ラングの愛人と名乗る芸者に誘い出されたのでした。そしてラングには本国に妻がいること。日本には何人か芸者の愛人がいるばかりでは飽き足らず、最近は良家の子女にまで手を出していることを教えられるのでした。

 こうして雪絵の恋は終わり、その責任を取って雛田は切腹を企てたのでした。

 幸い雛田の切腹は軽傷で助かります。そんなドタバタの中、応接室で夜を明かした当主とアンナは酒を酌み交わしながらしみじみと語り合うようになっていました。

 時代に取り残された当主と雛田。時代の最先端を行くアメリカ婦人のアンナ。アンナは英語しか話さない設定なのですが、富沢亜古さんのセリフは全て日本語でした。日本語のセリフなのに日本人には全然通じていないというおもしろさがありました。こういう時代設定の芝居で外人が出てくる場合、あんまりセリフをしゃべらせなかったり、英語だったりするのですが、当主とアンナの討論が文化の衝突を表すことになっているので、こういう作り方もありかなと思いました。われわれも映画の吹き替えなどで外人が日本語のセリフをしゃべっているということに何の違和感もありませんから、今後こういう芝居作りが増えてもいいのではないでしょうか。

 雪絵は足が不自由で、周りの笑い声が自分の足に向けられているという思い込みから気絶してしまい、女学校も2日出席しただけで、ほとんど外へ出かけることも無くひっそりと家で暮らしているという設定でした。この雪絵が明治の良家の子女らしく父親の意向に逆らわず、一歩控えている姿に、新派の舞台を見るような懐かしさを感じました。

 当主役のたかお鷹さんと雛田役の加藤武さんのコンビが絶妙で、最初に鎧兜姿で現れた時の"つかみ"や、九代目団十郎に刺激されて赤穂浪士の討ち入り姿でイギリス横浜領事館へ抗議に行ったため連れ戻されて応接室のソファーで二人並んで座ってる姿など、本人たちが真面目なほど可笑しくて大爆笑させてもらいました。

 笑いの中にも、欧米列強に翻弄されていた明治の日本が上手く書き込まれていて、マキノ脚本の骨太さを堪能しました。 

2006年11月27日 (月)

「シラノ・ド・ベルジュラック」

観劇日…2006年11月3日
劇場…兵庫県立芸術文化センター


 文学座創立70周年記念として上演された「シラノ・ド・ベルジュラック」
17世紀フランスに実在したシラノをモデルに1897年にエドモン・ロスタンが書き上げた戯曲。日本語訳は辰野隆・鈴木信太郎によるものを使用しておられました。

 芝居はパリの芝居小屋から始まります。田舎から出てきたばかりのクリスチャンは芝居小屋で美しい女性に一目惚れをしてしまいます。彼女はロクサーヌ。ロクサーヌもまたクリスチャンに一目惚れしていたのでした。

 この芝居小屋に出演していたのが、モンフルウリイ。彼が舞台で詩を朗読し始めた途端、シラノ・ド・ベルジュラックが現れて、モンフルウリイを追っ払ってしまいます。モンフルウリイのパトロンの伯爵とその連れの子爵はメンツを潰され、子爵はシラノと剣を交えます。しかし喧嘩っ早いシラノはあっさりと子爵を打ち負かしてしまうのでした。

意気揚々としているシラノの元にロクサーヌの乳母がやってきて、話があるので明日教会の帰りに会いたいと伝言を持ってきました。いとこではあるのですが美しいロクサーヌに惚れているシラノは大喜びで待ち合わせ場所を教えます。そこへ友人がならず者100人に待ち伏せされているとの連絡が入り、助っ人に向かうのでした。

 翌朝、ロクサーヌとの待ち合わせ場所であるパン屋に何事も無かった顔でシラノがやってきました、そして自分の思いを口でいうのは恥ずかしいと恋文をしたためます。そこにロクサーヌが現れ、シラノに自分には好きな男がいて、それがシラノと同じガスコン青年隊のクリスチャンなので、仲を取持って欲しいこととクリスチャンの後ろ盾になって欲しいと頼みます。

 ロクサーヌの気持ちを知ったシラノは自分の思いを秘めてしまいます。ロクサーヌが去った後、前日の夜、100人相手に喧嘩をして何人もの相手を倒したシラノの噂を聞いてガスコン青年隊のメンバーがパン屋に集まってきます。そしてそこに伯爵も現れ、シラノの詩人としての力を認め、自分のために詩を作らないかと誘うのですが、それを潔しとしないいシラノはあっさり断ってしまいます。

 伯爵がロクサーヌの家に現れ、自分にスペイン軍との戦場に向かうように命令が下ったと告げます。伯爵が自分に惚れていて、色々うるさく言ってくるのを嫌がっていたロクサーヌは内心喜びます。ところが伯爵はガスコン青年隊も連れて行くと言った途端、ロクサーヌはクリスチャンも戦場にいくことになってしまうのを悲しみ、ガスコン青年隊のシラノは戦い好きなので、シラノを戦場に向かわせるのはかえって、シラノを喜ばすだけと言い、ガスコン青年隊をパリに残して置くように願うのでした。

 夕刻ロクサーヌへのラブレターまでもシラノに代筆してもらっていたクリスチャンはロクサーヌも自分のことを慕ってくれていることを知って、シラノとともにロクサーヌの家を訪ねて行きます。そこでシラノがクリスチャンにロクサーヌへの言葉を教えようと申し出るのですが、クリスチャンは断ってしまいます。しかしクリスチャンのストレートな愛の言葉に、ロクサーヌは手紙と全然違うと拒否してしまいます。
 そこでクリスチャンの替わりに、シラノは美辞麗句に包まれた愛の言葉をロクサーヌに告げ、その言葉に酔ったロクサーヌとクリスチャンはキスするのでした。

 ロクサーヌの家を訪ねて、修道士が伯爵の手紙を持って現れます。シラノが修道士に手紙の中身を誤魔化して伝え、クリスチャンとロクサーヌを結婚させてしまいます。そこへ伯爵が現れ、ガスコン青年隊も戦場へ向かうことになったと命じます。

 スペイン軍を包囲するつもりが、陣地を置いた場所が悪く、補給路を断たれたガスコン青年隊は飢えに苦しみ戦う気力さえ失っていました。そんな厳しい状況でもロクサーヌへの思いを伝えるべく、シラノはクリスチャンに成りすまして1日に2度敵の目をかいくぐって、手紙を送り続けていました。
 その手紙を見たロクサーヌはクリスチャンへの思いが募り、馬車に食料を満載して陣地を訪ねてきたのでした。
 クリスチャンとロクサーヌが語り合う中で、ロクサーヌが愛しているのはクリスチャン本人ではなく、手紙の中で愛を語るクリスチャンだということに気がついてしまいます。そして「どんなに顔が醜くなっても私はあなたを愛する」という言葉に、ロクサーヌが愛しているのはシラノだとクリスチャンは思い込んでしまうのでした。

 いよいよスペイン軍との戦いが始まり、絶望したクリスチャンは最前線に突撃し、致命傷を負ってしまいます。瀕死の中でクリスチャンはシラノの代筆した手紙をロクサーヌに渡し、死んでいきました。

 15年後、クリスチャンに先立たれたロクサーヌは修道院で暮らしていました。そこに毎週シラノが現れ、1週間の出来事を語るのが習慣になっていたのでした。
 シラノは相変わらず権力者におもねらない性格が災いして、困窮のどん底で暮らしていました。そしてあちこちに敵を作っていたのです。そして、ロクサーヌを尋ねるため、部屋を出たシラノに向かって、小僧が薪を投げつけ、シラノは頭に致命傷を負います。しかしその大怪我をおしてロクサーヌの元に現れたシラノは何事も無かったように、話を始めるのでした。そしてクリスチャンの話になったとき、最後の手紙を見せてくれと頼み、クリスチャンの血でかすれ読めなくなった文章さえも、すらすらと読むシラノを見て、今までクリスチャンが送ってくれていたと思っていた手紙の全てがシラノの書いたものだったことを知ります。しかしもうその時にはシラノの命の火は燃え尽きようとしていたのでした。

 シラノは喧嘩が強いだけではなく、口を開けば華麗な詩が流れるように溢れ出し、その詩を聞けばどんな高飛車な女でも、間違いなく心を開くなんて、この芝居が作られた当時のフランスでシラノは完璧な男だったのでしょう。ただそんな完璧な男に人並み以上の大きな鼻を持たせ、容貌のコンプレックスを足かせにしたことで、この作品が長く愛されるものになったと思いました。

 パンフレットによりますと、新国劇で昭和4年に上演されてから、シラノには70年以上の歴史があります。なので今までシラノを見たことが無かった私でも、それなりの先入観がありました。それはやはり一番のクライマックス、シラノが死んでいく場面です。なのでシラノがこんなに明るくて面白い芝居だったことに目から鱗が落ちた感じがしました。

 なんといっても膨大なシラノのセリフ量をこなした江守さんに圧倒されました。最近テレビのバラエティでのお仕事を拝見することが多く、演劇人・江守徹を見る機会が少なかったのですが、他を圧するさすがの貫禄に、シラノという役は座長でなければ演じられないと思いました。
 「ロクサアヌ接吻の場」で、クリスチャンの代わりをして、自分の思いをロクサーヌにぶつけるシラノ。でもどんなに愛の言葉を連ねても結局、キスをするのはクリスチャンとロクサーヌ。この時のシラノの感情の動き、クリスチャンよりも詩作では優れているという優越感から焦り、絶望への流れが素晴らしかったです。

 クリスチャン役は浅野雅博さん。見せ場は、戦場の場で食料を持って現れたロクサーヌと語り合うシーンでした。ロクサーヌが愛しているのは手紙の中のクリスチャンであって、本物の自分ではないことを知った深い悲しみ。自分は必要の無い人間だと思い込んで、最前線に飛び出し、撃たれてしまうクリスチャン。前半での男前だけど朴訥な人間だったクリスチャンとのギャップが印象的でした。

 ロクサーヌ役は高橋礼恵さん。100年前のフランス人男性にとって、都合のよい女といえるようなロクサーヌ。そのロクサーヌをコケティッシュに演じられた高橋さん、とても可愛かったです。
 
 文学座70周年の層の厚さは大御所から今回初舞台の若者を含む俳優だけではなく、観客の側にも感じました。江守さんがテレビだけではなく、舞台に戻ってこられるのを待っていたファンがたくさんおられるのだなと、その熱気が劇場いっぱいにあふれていたのではないでしょうか。